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10月の横浜ワーク - 2

2006/10/22(Sun)


トリンさんのリーディングは続く


「乳児期に母が育児放棄し、二人の女性が強くサポートしていた。

本来親が育児しないといけないところを

母親でない女性に育てられたことに対して引っかかっている。

まず、その二人の女性に感謝すること。


誰に育てられても問題はなかったはず。

しかし、そこ対しての母への憤り。

それが逆に礼儀正しく

相手が求めているであろうことに応えなければいけない

それは自分が作り出した幻想であって・・・

そうでないのかもしれない。

しかし、社会的な一編通りの形式に囚われながら、そこから抜け出せない。

本来自分が求めているものを感じるという能力の欠如に繋がっている。」



>乳児期に母が育児放棄し、二人の女性が強くサポートしていた。
これは恐らくおばさんと母方の祖母だと思う。


>本来親が育児しないといけないところを
>母親でない女性に育てられたことに対して引っかかっている。
この部分に関しては全く覚えていないし、それに対して怒りがあるとかの自覚はない。


>まず、その二人の女性に感謝すること。
しかし、この部分に関しては二人の存在がなければどのようなことになっていたかわからない。
今度機会があれば誰だったかを聞いて、感謝の念を送ろうと思う。

(「感謝の念を送る」で検索すると
  http://www1.ocn.ne.jp/~shodesi/inged2000/otoko2.htm
 という記事を発見した。全ては読んでいないが、終わったことでも感謝の気持ちを持つことは
 潜在意識の中の悪想念を消すことに良いみたいだ。)

>誰に育てられても問題はなかったはず。
>しかし、そこ対しての母への憤り。
感想は次回以降へ

>それが逆に礼儀正しく
>相手が求めているであろうことに応えなければいけない
確かに自分は相手の期待に応えないと愛されないという気持ちを潜在的に持っているし
気づいていても癖として残っている。


>それは自分が作り出した幻想であって・・・
>そうでないのかもしれない。(と僕が思っている?)
>しかし、社会的な一編通りの形式に囚われながら、そこから抜け出せない。
精神世界にかかわり始めてから自分が「普通」「常識」に縛られているのを感じて、
できるところは排除してきた。でも、まだまだ縛りが多いのを認識している。
だから自己探求して減らしていくのだろうと思っている。

>本来自分が求めているものを感じるという能力の欠如に繋がっている。」
それは恐れからの逃避、マイナス思考、父への怒り・恨みにこれまでのほとんどを費やしてきたので当然かもしれない。




つづく





今日の編集後記
今日祖母の葬儀の後片づけを終えて帰ってきた。

葬式の途中も遺影と同じくその儀式の様子を笑顔で見ているように思えた。
さすがに火葬場では「また一人大切な人がこの世から消えていったのだな〜」と思うとこみ上げるものがあった。

真理を悟った人は葬儀中、笑顔が止まらない方もいらっしゃるようだ。
これからもっと親密な人が亡くなった時、自分はどのような反応をするのだろう?

もっち * 探求日記 * 23:50 * comments(0) * -

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